「insane/インセイン」はUK スケーターブランドの草分け的存在で、
90年代を代表するストリートブランド。
1984年、自身もスケーターであるGed Wells が自ら描くアートワークを
Tシャツにプリントしたことからスタート。
伝説的なスケボー専門誌「RaD magazine」に取り上げられ注目を集める。
そしてUK のスケーターが絶大なる信頼を寄せる『Slam City Skates』と契約。
当時目立ったスケーターブランドが無いイギリスで、アメリカ産ブランドにはない新鮮なグラフィックが
評判になりスケーターを通して瞬く間にストリートで人気に火が付く。
日本では90年代初頭に各ファッション誌で紹介されるも、入手困難なこともありその人気はカルト化、
今もなお、多くの支持を集めている。
Early days
Q1:インセインはどういう経緯で誕生したの? Ged:全ては1984年ワイト島(イギリスのイングランドの島)で始まったんだよ。当時、考古学専門のイラストレーターとして働きながらスケボーに夢中になってたんだ。 僕はクリエイティブな家庭環境の中で常に物作りをしていて、奇妙な絵やプロダクトを制作していた。正統なキャリアを積んでいなかったけれど仕事で車が必要になりTシャツやトレーナーにイラストを描き始めた。それがinsaneの始まりさ。それからシルクスクリーンを使って様々なアイテムを作り始めた。中にはコスチュームデザイナーであった母親による風変わりなハット等もあったよ。彼女は色々とアイデアを出してくれたんだ。 程なくしてinsaneはUKスケーター間で評判になって、それを機にUK中の独立系スケートショップとの取引をスタートしたんだ。’80年後半には僕が携わっていたスケーター雑誌に広告を掲載したり、僕自身がスケーターとして注目を浴びることで、※RaDマガジン がinsaneと僕をしばしば取り上げてくれるようになって、さらに多くのスケーターショップとのコラボが増えていったのさ。 ※ RAD (=READ AND DESTROY) マガジン:イギリスで最も影響力のあったスケートボード専門誌。元々はBMX専門誌。(1978–1995)
London & Slam City Skate
Q2:ロンドンへはいつ移ってきたの?またSlam city skateとの出会いは? Ged:RaDマガジンにてライターやイラストの仕事に多く携わることがきっかけで1988年にロンドンに移り住んだんだ。それからクラブやレコードレーベル、スケボーといったサブカルチャー界隈の人達と交流を持つようになった。そこでの出会いはとても重要だったよ。彼らも同じようにキャリアスタートの時期だったからね。少し経って※Slam City Skates が小売専門から卸業へ業務拡大をするとのことで仕事の依頼があり、ライセンス契約をすることになったんだ。それでinsaneをSlam Cityで販売することになった。そのパートナーシップがブランドマネージメントに注力するきっかけとなったよ。新たなパートナーを得てのファーストコレクションはタートル/亀のアートワークをメインに据えて、様々なアイテムを作った。付属でストーリーブックも制作したよ。さらにビスポークテイラーのSimon Collinsとのカプセルコレクションも展開してそれらは ※ELLE(UK) にも掲載されたんだよね。 ※ELLE:1945年にフランスで創刊された女性ファッション雑誌、現在、世界45の国と地域で刊行されている。 ※Slam City Skates : 1986年オープンしたロンドンを代表するスケーターショップ。今なおイギリスのスケートカルチャーのみならず、ストリートカルチャーをも牽引し続けている。
Growing in popularity in 90s
Q3:ニューコレクションの反応はどうだったのかな?またGed自身の意識は? Ged:insaneは既にUkスケートボーディング界では支持を受けていたんだけど、insaneを多く扱っていたSlam Cityの旗艦店(ロンドンウエストエンド、コベントガーデン)の地下に※Rough Tradeレコード があったことで、スケーターだけでなく熱心な音楽ファンやミュージシャンにも注目を浴びるようになったんだ。同時にinsaneはアメリカのサーフ&スケートブランドと並んで扱われるようになり、非常に自由でユニークな形で成長していったんだ。この時期UKはNick Philipsが ※Anarchic Adjustmentを立ち上げたり、Clan SkatesがPOIZONEをスタートさせたりとエキサイティングな時代だったよ。 ※Rough Trade:1976年ロンドンでオープンしたレコードストア。1982年レコードレーベルを立ち上げThe Smiths、Aztec Cameraなど80s UKインディーロックのを代表するアーティストを輩出した。 ※Anarchic Adjustment:1986年RaDマガジンでエディトリアルデザインを担当していたNick Philipが設立したストリートブランド。共同設立者であるAlan Brownがサンフランシスコ在住なこともあり西海岸のスケートシーンでまずは評判に。その後、独自のカウンターカルチャー表現でUK、日本などでカルト的な人気を博す。近年PALACE SKATEBOARDSとのコラボも記憶に新しい。 ※Clan Skates / POIZONE:Jamie BlairとDavie Philipが1988年スコットランドの都市グラスゴーにてオープンしたスケートショップ。POIZONEはClan Skatesのオリジナルブランド。スコットランドの伝統的な装飾デザインであるケルト文様をグラフィックに落とし込んだデザインは人気を呼び、当時MCA(BEASTIE BOYS)が愛用していた。
Birth of Twisted Teddy & Strawberry
Q4: この時期から少しずつ人気が拡大していくよね。当時の生産背景とinsaneの動きを教えてくれる? Ged:Slam Cityに生産とディストリビューションをシフトしていたので、目新しさは若干目減りした感はあるかな。それから新しいプロデューサーを見つけ、より面白いものを作るようになった。そしてinsaneのアイデンティティーを強固なものにしていくよう努めたんだ。次のコレクションは「Insane Irony Circus in 90」と題してねじれた奇妙な形のオブジェクトを中心に据えたドローイングブックの制作とそのイラストを使って様々なアイテムや広告を発表したんだ。スケートデッキのイラストとして「TWISTED TEDDY」が登場したのはこのコレクション。また同時に展覧会用の大型ペインティングを始めたよ。 次に※Wag Clubでショーを開いたんだ。フューチャリングにシンガーの※Jenny Bellstar を迎えてね。ダンサーやDJはinsaneの洋服と「STRAWBERRY」のテキスタイルを使ったマスクをつけてくれた。こうしたヴィジュアルイメージが後のコレクションに反映されることになるんだ。「STRAWBERRY」はinsaneのアイコニックなアートワークになったしね。それ以降、※FACEマガジンから※ガーディアンまで、さらに※BBCの「The late show」でインタビューを受けたりするようになったんだ。 ※Wag Club : 画家、作家、アーティストであるCHRIS SULLIVANが1982年にロンドンのソーホーにオープンした伝説的なクラブ。多くのセレブリティーが来店したことでも知られる。ちなみにDavid Bowie「Blue Jean」のPVはここで撮影された。 ※Jenny Bellstar : 1982年のスマッシュヒット「Iko Iko」で知られるTHE BELLE STARSのボーカリスト。 ※FACEマガジン:i-Dと並び80年代を代表するファッション&ミュージックカルチャー誌。UKのみならず日本のユースカルチャーにも大きな影響与える。 ※ガーディアン:イギリスの大手新聞。 ※BBC「The late show」:イギリスの国営放送BBC制作のアート系プログラム。
Making video & working with new collaborators
Q5: insaneはスケートチームを持っていたのかな? Ged:僕達はコレクションごとにデッキは作ってたし数人のスケーターに渡したりしていたけど、ハードウェアとしてのスケードボードブランドを目指してはなかったんだ。制作した「Mouse is pulling the key」というビデオでは多くのスケーターとコラボしてたりはするけどね。ちなみにinsaneのPVの大半を撮ってくれたのが ※Dave Slade。彼とは長く雑誌でコラボレーションし、PVではとても実験的かつクリエイティブな作品を制作したよ。BGMは ※Wiiijaレコードと契約したバンドに依頼したりね。「 Mouse is Pulling the Key」用に制作したアートワークは1991年のコレクションにも使用していて中には ※Pure Evilがデザインしたアイテムもあるんだよ。 ※Dave Slade : 映画監督/ミュージックビデオのディレクター。LFOやAphex Twin等のPVを手掛けている。 ※Wiiijaレコード : Cornershop、bisなどを輩出したRough Trade 傘下のレーベル。Gedがレーベルロゴのデザインを手がけている。 ※Pure Evil ( aka. Charles Edwards):UK出身のグラフィティアーティスト。アメリカ西海岸に移住後、Alan BrownとNick Philipが立ち上げた「ANARCHIC ADJUSTMENT」に携わるため西海岸へ移住。
Q6: insaneはとても認知性が高くキュートなスタイルへと変わっていったけどファンの反応はどうだったの? Ged: 一部のファンには動揺があったかもしれないね。91年秋冬の「By Appointment」コレクションでは無用な発明品やシュールなおもちゃのドローイングと詩を組み合わせたアートワークをフューチャーしたもの。新しいアートワークの「Some Swing」 はinsaneワールドの中でシュールな人生を与えられたトイだったりね。また現在もアイコニックな「Mad Cow」はコレクションのロゴとして存在感を示したよ。そうしたシュールなアートオブジェクトとトイをアイデアとして作品に織り込み始めたんだ。しかしそれらは当時ブランド アイデンティティ内の概念としてのみ表現されたのみで、そんな複雑な立体物自体を生産する余裕はなかったね。
Huge boost in Japan
Q7:当時の日本ではどんな反響があったのかな。 Ged:日本では1990年に藤原ヒロシ氏が雑誌 ※Cutieの「HFA」でinsaneを紹介したことで注目を浴びて、その後 ※MADE IN WORLD が取り扱うことで人気に火がついたんだ。UKでもBond InternationalやDr Jivesといったスケート/カジュアルストアでの売り上げは伸びたけれど、日本ではそれ以上だった。同時にThe Shaman, Ned's Atomic Dustbin, Therapy, Deee-Lite, Jesus Jones, EMFといった多くのミュージシャンやRobin Williamsといったセレブリティーが購入してくれるようになったよ。 ※Cutie:1989年に宝島社から刊行された月刊女性ファッション誌(〜2015)。独特の世界観で90sの裏原宿カルチャーを牽引。藤原ヒロシ氏が連載していた「HFA」で紹介したアイテムの多くが即ヒット商品になる現象を生み出した。 ※insane初期はLONDIS(原宿)〜 EM/エム(渋谷)が取り扱い。その後GOOD WILL(原宿)。そして HARD CORE PARTY PROJECT(裏原宿にあったセレクトショップ「perv」の前身)」が「Judy Blame & gimme five 」「holmes」等と共に「insane」のディストリビューションを開始。「MADE IN WORLD」はその卸先店舗になる。 ※MADE IN WORLD:90年代初期、渋谷ファイヤー通りにオープンしたセレクトショップ(〜2015)。初期はUS/UKインポート物、次第に国内ブランドを増やし、そのエッジの効いたセレクトは90sストリートファッションの形成に多大なる貢献を果たした。
Meeting Sofia
Q8:日本での人気の加熱は Ged: いくつかのアイテムに限定されるけど1992年の日本での売り上げは大変なものだったよ。それによりSlam Cityは営業チームを拡大することが出来たんだ。 Rough Trade storeに勤務していたRussell Watermanは営業の指揮を取るようになり「Fresh Jive」や「Anarchic Adjustment」といったUSブランドのディストリビューションをスタートさせていたね。insaneはというとリピートオーダーを生産しつつ 新作を加えていってた。ただ変革期を迎えていたので新たなデザイン&プロダクションチームを必要としていたんだ。その頃は展覧会用のアートワークの制作やinsaneの世界を広げるためのキャラクターの立体物制作、ぬいぐるみのアイデア出し等をしていたんだけど、なにより服のデザインをより強固にしてくれる有能なスタッフが欲しくてね。そうした中、 Sofia Pranteraにセントラル・セント・マーチンズ卒表展のアフターパーティーで会ったんだ。僕は彼女のカジュアルウェアに対する思想に深く共鳴したんだよね。それから数回のブレストを経て、機能とユーモアを織り込んだinsaneワールドの制作パートナーになってもらうことにしたんだ。 ※ Sofia Prantera / ソフィア・プランテラ : Aries /アリーズのデザイナー。セントマーチンズ卒業後、Russell Watermanと「homes」、1998年に SILAS /サイラス を立ち上げる。 ※Central St Martins /セントラル・セント・マーチンズ : ロンドンのファッション名門校。ジョン・ガリアーノやステラ・マッカートニー、アレキサンダー・マックイーンといった名だたるデザイナーを輩出。
Developing insane with Sofia & Russell
Q9: 当時ソフィアはinsaneのどの程度関わっていたの? Ged: 僕はソフィアをSlam Cityのパートナーに紹介し、即座に彼女は「 full winter Insane Casuals collection」のデザイナーとして雇われることになった。そのコレクションは繊細なアートディテールを織り込んだソフトテック生地を使用したワークウェアを中心にしたものだったよ。ソフィアはとてもいいコラボレーターで様々なアイディアを出してくれた。イタリア製の生地をとても革新的なカジュアルアイテムをデザインしたり、それぞれのアイテムにヴィジュアル的な要素とユーモラスな名前をつけて楽しんでたんだ。 同時に僕は「 twisted Rhino(=サイ)」のぬいぐるみを制作し量産化を試みたんだけど、いい工場が見つからなくて結局カタログの表紙に使うだけで終わってしまったよ。他にはi-Dマガジンとのコラボレーションでウォークマンをカスタムしたり、キャラクターの立体物を制作してたね。ラッセルとはコンセプトメイキングなどで協業を続けて「Winter 1992 Insane collection」では今でも人気のある「Stanley Bird 」やフーリガンをテーマにした「Mob Handed」、コレクションロゴにも使った「Yin Yang bird 」などを発表したよ。
Termination of contract with Slam city Skate
Q10: ここからinsaneは過渡期に入るわけだよね。Slam City Skateを離れてからの活動を教えてくれる? Ged: 「Winter 1992 Insane collection」が非常に売れたこともあってSlam Cityは巨大な倉庫をウェストロンドンに借りたんだけど、そのせいで「Summer 1993 Insane collection」は制作費が圧縮され、過去作品のリプロダクションにすることを余儀なくされてね。それを機にSlam Cityから離れることにしたんだ。既にSlam City在籍になっていたソフィアやワイト島時代からの仲間であるAndy Holmesと別れるのはつらかったけど。それから多くの展覧会にて作品を発表し、90s半ばにスケーター仲間のBoma Jajaと カムデンに「Insane Skate Supplies」をオープンし、そこで新しいデザイナーとコラボしたり、UK&ヨーロッパへの卸し、Addict, Clown、Siesta、 Inner Circle、Raggy、AerosoulといったUKスケーターブランドやストリートブランドの取り扱いをスタートさせたんだ。またギャラリーとしての機能も兼ね備えて僕自身以外にRussell Maurice (Gasius), Marc Foster (Heroin skateboards), Etch (Inner Circle) 、 Spain’s Fernando Elviraといったアーティストがそこでエキシビジョンを開いたよ。 「insane Panda」を店のアイコンにして、多くのスケートボード ハードウェアのプロデュースを行ったんだ。またスケートイベントのオーガナイズなどすることでinsaneはロンドンスケートカルチャーのハブ的な役割を果たすようになったよ。一方でこの時期はより多くの作品を制作して展覧会に参加したり、Mo Wax, Rhythm King レコードといったレーベル所属のアーティストの為に多くのアートワークを提供していたよ。
Now & Future
Q11:それからinsaneはどのように発展させていったの? Ged: 僕にとってアートが人生を充実させるの源だから、多くの面白いプロジェクトに参加し続けているよ。イギリスではinsaneの商品をリリースし続けているし、日本でも様々な企画で動いてもらってる。バーニーズニューヨークやビームスとの別注アイテムは興味深いものだったし、「ザ プール 青山」とのコラボレーションはエキサイティングだったよ。
Q12:最後にこれからの活動目標を教えてくれる? Ged:僕は今のinsaneに対しての制作活動に基本的には満足してるけど、insaneを始めた当時の思いは今もあってまだ発展できると思っているよ。疑いなくinsaneは80年代、UKスケートカルチャー&ファッションの発展に寄与したんじゃないかな。もちろん日本でのブームに支えられたことも要因のひとつだけどね。 今日世界はさらに発展して、交流をすることでブランドの価値を高める世の中になってるよね。僕はブランドに磨きをかけている友人達の活躍を見聞きするのがとても好きなんだ。ソフィアは今もAries Ariseでアメージングな作品を作っているし、Palace teamは楽しさに満ちた革新的な道を切り開くスケーターブランドのあるべき姿を提示してるよね。 ユニークな概念を包み込んだコンセプトを元に革新的なプロダクトを作るという強い思いは今も持ち続けているよ。だから僕は常に多くの人々とのパートナーシップを通じてinsane worldをアート/トイ/服/家具といった多くのフォーマットで表現出来たらと思ってる。これが80sから持っている変わらぬ思いかな。僕は今も変わらず好きなことをやり続けることが出来てとてもラッキーだよ。